吉高由里子 ドラマ「光る君へ」第45話「はばたき」!

吉高由里子のドラマ「光る君へ」第45話「はばたき」です。

藤原公任、藤原斉信、藤原行成、源俊賢の「四納言」は、宴で藤原道長が詠んだ歌について語り合っていました。
源俊賢は、栄華を極めた藤原道長が権力を誇示している歌だと解釈しますが、藤原公任と藤原行成はこれに異を唱えます。

藤原公任は、「藤原道長様はおごった歌をみんなの前で披露するような人ではない」と言い、藤原行成も「3人の后は望月のように欠けていない。良い夜だということだと思いました」と答えました。この話題ののち、源俊賢は、職を辞す決意をみんなに明かします。

土御門殿では、太皇太后・藤原彰子の居室に、藤原頼通と隆姫夫妻、敦康親王と「祇子」夫妻、敦康夫妻の3歳になる娘「藤原嫄子」が集まっていました。
藤原頼通は、摂政になっても、父・藤原道長の指示を仰がなければ何もできないこと、藤原道長に怒られてばかりだと話します。

敦康親王は、亡き父・一条天皇から叱られたことがないため、藤原頼通を羨ましがりました。
側に控えていたまひろは、今の敦康親王が幸せそうだと感じます。
しかし、藤原彰子が部屋を出ていった直後、敦康親王は胸の痛みを訴え、この年の暮れ、21歳の若さで世を去りました。

敦康親王家の別当を務めていた藤原行成は、藤原頼通に辞職を申し出ます。
藤原行成は、「敦康親王の娘と母をお守りください」と願い、藤原頼通はこれを聞き入れると、藤原嫄子を自分の庇護下で育てることを約束しました。

一方、まひろは、藤原彰子に頼まれて、藤原道長のもとへ薬草を届けます。
まひろは、藤原道長が詠んだ歌を褒めますが、藤原道長は、「月が美しかったから、まひろの歌を思い出して詠んだ」と答えました。

まひろの歌とは、藤原彰子が敦成親王を産んだときに、満月を見ながら詠んだ「めづらしき 光さしそふ 盃は もちながらこそ 千代もめぐらめ」という歌のこと。
「中宮という月の光に、皇子という新しい光が加わった盃は、今夜の望月の素晴らしさそのままに、千代も巡り続けるでしょう」という想いが込められた歌に、藤原道長は感嘆していたのです。

「3人の姫様が后となられ、藤原道長様にとっては良き夜だったのですね」とまひろが言うと、藤原道長は「そう思いたかった」と答えます。
このあと、まひろは「源氏物語」を書き上げるのでした。

しばらくして、まひろの娘・藤原賢子が宮仕えすることを決意します。
まひろは、藤原賢子の自立を喜び、藤原彰子に頼んで、女房にしてもらうことを約束しました。

さらに、まひろは、「源氏物語」で書いた須磨や明石、亡き夫・藤原宣孝が務めていた大宰府、友人のさわが亡くなった松浦に行きたいことを家族に語ります。
藤原為時はこれを認め、まひろは乙丸を連れて、旅に行くことになりました。

その後も、藤原道長は体調が優れず、妻・源倫子に出家の決意を伝えます。
反対する源倫子ですが、藤原道長の気持ちは変わりません。
そして、1019年(寛仁3年)3月、藤原道長は、出家しました。

源倫子は、藤原道長の栄華を物語として書き記したいと考え、赤染衛門に依頼します。
大役を任された赤染衛門は、感激し、これを引き受けるのでした。

藤原道長が出家してからも、藤原頼通は、事あるごとに、藤原道長に指示を仰ぎに訪ねてきます。
この日の相談は、失態続きの藤原顕光に左大臣を辞めてほしいが、どのようにすれば良いか、という内容でした。

藤原道長は、公卿の前で藤原顕光を非難すれば、居たたまれなくなって自ら辞任を申し出るかもしれない、と助言します。
しかし、そんなことはできない、と藤原頼通は消極的です。
藤原道長は、藤原頼通の気弱な様子を見て、「それが政だ。お前は摂政だぞ、肝を据えろ!」と声を荒げ、叱責するのでした。