吉高由里子 ドラマ「光る君へ」第44話「望月の夜」!

吉高由里子のドラマ「光る君へ」第44話「望月の夜」です。

三条天皇は、譲位を引き延ばすために、藤原道長に対して、自分の娘である「禔子内親王」を藤原道長の息子・藤原頼通に嫁がせたいと申し出ます。

しかし、藤原頼通は、亡き具平親王の娘・隆姫という妻がいるため、縁談を拒絶します。
藤原頼通の強い意思に、藤原道長は、三条天皇を諦めさせるために「藤原頼通は怨霊によって重病に侵されている」という噂を流しました。

この噂は、すぐに三条天皇の耳に入ります。
藤原道長の思惑通り、三条天皇は「怨霊が憑いた者に姫は嫁がせられない」と落胆し、ついに譲位を決意します。
しかし、譲位する代わりに、三条天皇の息子・敦明親王を東宮に立てることを条件とします。

1016年(長和5年)2月7日、三条天皇の譲位により、一条天皇と藤原彰子の第1子・敦成親王が9歳で即位することとなります。
「大極殿」では、68代「後一条天皇」の即位式が執り行われ、藤原道長は、幼い帝の摂政となり、名実ともに国家の頂点に立ちます。
そして、藤原彰子は、「国母」となりました。

藤原道長は、摂政になりながらも、左大臣として公卿達の意見を聞くことも大切だと考えます。
しかし、公卿達からは、藤原道長に権力が集中しすぎていると声が上がるようになりました。
そんな中で、藤原公任は、藤原道長に「内裏の平安を思うなら、左大臣を辞退するべきだ」と助言します。
これまで、三条天皇に譲位を促していた藤原道長は、今度は自分が左大臣の職を去ることを望まれる立場になっていたのです。

この年の終わり、藤原道長は、まひろの局を訪ねました。
藤原道長は、摂政と左大臣の職を辞し、次の代へ託そうとしていることを伝えます。

「摂政になって1年も経っていないのに」と驚くまひろですが、藤原道長は、摂政の座を藤原頼通に譲ることを決めていました。
そこで、まひろは、藤原道長の民を思う心は藤原頼通に伝わっているのかと尋ねます。

藤原道長は、自分の思いを伝えることに意味がないと答え、むなしさを覚えました。
そんな藤原道長に対し、まひろは「たとえ今は伝わらなくとも、次の代、その次の代と少しずつ成し遂げられていくかもしれない」と、未来への希望を語ります。
藤原道長は、まひろだけでも、「そう信じ続けてほしい」と答えます。

1017年(寛仁元年)3月、後一条天皇の摂政になった藤原頼通は、内大臣を兼務します。
そして、藤原顕光が左大臣に、藤原公季が右大臣に任じられます。

また、藤原彰子が太皇太后、藤原妍子が皇太后、藤原威子が中宮となり、3つの后を藤原道長の娘が独占します。
しかし、宴の席で、藤原妍子は、「父上と兄上以外、喜んでいない」と冷ややかに言い放ちます。

それでも藤原道長は、満足そうに、「このよをば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と歌を詠みます。
「このよ」は「この夜」、「望月」は、后となった3姉妹のこと。
藤原道長は、「3人の娘は満月のように欠けていない。今夜は良い夜だ」と祝福し、宴に参加した者達は、この歌をみんなで唱和しようと呼びかけました。