吉高由里子 ドラマ「光る君へ」第29話「母として」!
吉高由里子のドラマ「光る君へ」第29話「母として」です。
1001年(長保3年)の正月、宮中では、一条天皇の無病息災を祈る「御薬の儀」が行われていました。
藤原宣孝は、儀式に参加したのち、まひろと娘の「藤原賢子」のもとを訪れます。
そして、一条天皇は、藤原定子を失って以来、憔悴していることや、危篤だった藤原道長が回復していることなど、内裏の様子を話して聞かせます。
しばらくして、ききょうがまひろを訪ねてきます。
ききょうは、藤原定子の死後も書き続けていた「枕草子」を持参していました。
枕草子には、藤原定子がもっとも輝き、幸せに暮らしている日々が描かれています。
枕草子を読んだまひろは、生き生きとした描写に感心しますが、「藤原定子の影の部分を知りたい」とききょうに告げました。
しかし、ききょうは、藤原定子の華やかな姿だけを人々に伝えたいと答えます。
さらにききょうは、一条天皇と藤原定子を引き離した藤原道長こそが、藤原定子の命を奪ったと怒りをあらわにします。
そして、まひろに「藤原道長に騙されてはなりません」と忠告します。
この年、まひろの父・藤原為時は、官職を得ることができませんでした。
藤原宣孝は、藤原為時が官職を得るまで経済的に支えると言い、まひろ達を安心させましたが、同年5月、急病で突然亡くなってしまいます。
それを知った藤原道長は、藤原為時へのねぎらいと、まひろへの追悼を伝えるため、百舌彦を使いに出します。
そして、まひろ達に配慮し、息子である「田鶴」の指南役を為時に依頼します。
為時は、まひろからの願いもあり、漢籍の指南役を引き受けることになります。
一方、藤原彰子のいる内裏の「藤壺」には、源倫子が、高価な品々を携えては通い詰めていました。
藤原道長は、源倫子がいることで一条天皇が訪ねにくくなると苦言を呈します。
源倫子は「帝が過ごしやすくなるように、華やかにしている」と憤慨します。
藤原道長が倒れてからというもの、2人の間には、すれ違いが生じていました。
そんな中、体調を崩していた藤原詮子は、藤原道長に、一条天皇と藤原定子の息子「敦康親王」を藤原彰子に養育させることを提案します。
藤原道長は、父と同じことをしたくないと反発しますが、藤原詮子に諫められ、一条天皇に進言することを決意します。
まもなく、敦康親王は藤原道長の後見を受け、藤原彰子の藤壺で暮らすこととなりました。
あるとき、藤原道長への怒りを募らせている藤原伊周のもとへ、ききょうが訪ねてきます。
ききょうは、藤原定子の栄華が長く人々の心に残るように、枕草子を宮中に広めてほしいと申し出ました。
藤原伊周はこれを快諾します。
1001年(長保3年)10月9日、土御門邸では、藤原詮子の40歳を祝う儀が行われていました。
しかし、その場で藤原詮子は苦しみだし、倒れ込んでしまいます。
そのまま病に伏してしまった藤原詮子は、藤原道長を居室に呼び付け、「藤原伊周の恨みを鎮めるために、位を戻してほしい」と頼みました。
藤原道長は、これを聞き入れ、藤原伊周をもとの位(正三位)へ戻します。
ほどなくして、藤原詮子はこの世を去りました。
藤原伊周は、久しぶりに一条天皇との対面をかなえると、「かの清少納言が、藤原定子様の思い出を記したものです」と枕草子を渡します。
同じ頃、まひろは、娘の藤原賢子に「竹取物語」を読み聞かせていました。
漢詩には興味を示さなかった藤原賢子ですが、竹取物語には興味津々です。
そこで、まひろは、自分も物語を書こうと、筆を執ることにします。
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