石原さとみ 映画「決算!忠臣蔵」!

石原さとみが映画「決算!忠臣蔵」に出演しています。
浅野内匠頭の正室・瑤泉院を演じます。

藩主が起こした刃傷沙汰でお取り潰しとなった赤穂藩。
限られた予算内で討ち入りの準備をする浪人たちの奮闘を描きます。

幕府の重臣・吉良上野介に切りかかった赤穂藩主・浅野内匠頭は即日、切腹させられます。
藩はお取り潰しになり、家老の大石は残務整理の日々を過ごします。
御家再興の道が閉ざされた彼らに残された希望は宿敵・吉良邸への討ち入りですが、討ち入りには費用が必要でした。

生活費や食費、家賃、江戸往復など、お金が出ていくばかりで、大石は頭を抱えます。

赤穂城の幕府への明け渡しの日が近づき、一部の血気に逸る武闘派の番方たちは城を枕に討ち死にする決意を固めます。
一方、内蔵助と勘定方・事務方らは藩士に支払う退職金の工面に追われていました。

内蔵助たちはお家再をの望み、内匠頭の弟・大学を藩主に迎え入れる案を出して番方たちをなだめようとしますが、結局赤穂城は明け渡されることとなりました。

赤穂城の明け渡しに訪れた浅野本家の家老は、内蔵助らに「お家再興も立派な戦」だと諭します。
赤穂藩士は全員浪人となり、内蔵助は吉良討ちを宣言してはばからない浪士たちの世話を焼きます。

いよいよ金が足りなくなりますが、内蔵助は内匠頭の正室・瑤泉院の嫁入り時の持参金を元手に始めた塩田事業による利益およそ5千両があることを知ります。

内蔵助は資金を元手にお家再興に乗り出しますが、幕府重臣への工作費や往復の旅費などであっという間に資金が目減りしてしまいます。

その頃、世間では民衆は時の将軍・徳川綱吉の「生類憐みの令」に不満を抱いており、鬱憤晴らしとしていつ赤穂浪士が仇討ちに動くのかということが人々の関心の的となっていました。
内蔵助もまた浪士たちに押される形で内匠頭の命日である3月14日に討ち入りするかを決めると約束します。

世間の討ち入りへの関心がより一層高まり、幕府や浅野の親戚筋から監視されるようになった内蔵助は、討ち入りの意思がないことを知らせるため、わざと遊郭通いをしてみせます。
事情を知らない息子・主税に責められ、内蔵助はつい討ち入りする意思を漏らしてしまいます。

この話は監視役の耳に入り、浅野家の親戚筋は内蔵助をを消す決意を固めました。
折しも大学は浅野本家へ幽閉となり、お家再興の望みは完全に断たれています。
内蔵助は遂に討ち入りを決心、内匠頭の三回忌に決行することにします。

1703年(元禄15年)。
内蔵助らは吉良が予定日よりも3ヶ月早い12月14日に茶会を開くため確実に屋敷にいるという情報を掴みました。
もはや資金は底減りしており、内蔵助は計画を前倒しして12月14日に討ち入りを決行する決断を下します。

討ち入り前日、内蔵助は瑤泉院にこれまでの費用の内訳を記した決算書と共に、浪士たちの家族が罪に問われないようにと工作費100両を託します。
そして12月14日、内蔵助率いる赤穂浪士・四十七士は雪の中を吉良邸へと討ち入りに向かいます。