北川景子 映画「花のあと」!

北川景子 の映画「花のあと」です。

藤沢周平の短編小説を映画化。
男勝りの剣の腕をもつ武士の娘が、ひそかに慕う剣士が陰謀にはまり自決したことを知り、敵討ちに立ち上がる姿を描く、北川景子主演の時代劇です。

江戸時代の東北の小藩、海坂藩。
物語は年老いた以登が約50年前の若かりし頃を振り返るところから始まります。

当時の藩主・雲覚院は桜の季節になると、家中の女や子供、隠居、部屋住み、非番の家士たちに城の二の丸への立ち入りを許可するのが恒例になっていました。
酒こそ禁じられていたものの、二の丸での花見はいわば無礼講のようなものであり、招かれた人々は思い思いに堀沿いに咲き誇る桜を眺めていました。
花見にはお忍びで雲覚院が現れては若い娘を物色しているという噂があり、招かれた人々の中には娘を花見に出さないという家もあるほどでした。

そんな中、男を全く恐れない一人の女性が二の丸にやってきました。
若き日の寺井以登です。
以登は幼い頃から組頭を務める父・甚左衛門から剣術を叩き込まれており、その腕前は今や男にも引けをとらない程にまで上達していました。

帰路につこうとした以登はもうじき散ってしまうであろう桜の花の儚さに想いを馳せました。
その時、「寺井様のご息女ではありませぬか」と若い藩士・江口孫四郎が以登を呼び止めました。
孫四郎は以登と同じく羽賀道場で学んでおり、その剣の才能は藩でも評判になっていました。

孫四郎はいつか道場内では最強の誉れ高き以登と手合わせしたいと願っていました。
以登と孫四郎はいつか手合わせをする約束をして二の丸を後にしました。

侍女のおふさは孫四郎が下級武士の出であることを理由に手合わせには反対しましたが、以登は甚左衛門に頼み込んみ、一度だけ孫四郎と手合わせする機会を得ました。
そして当日、以登は寺井家を訪れた孫四郎と竹刀を交えました。
以登はこの手合わせに負けてしまいましたが、自分を女と侮らずに真剣勝負をしてくれた孫四郎に生まれて初めての恋心を感じました。
しかし、甚左衛門は二度と孫四郎に会ってはならんと以登に告げました。

以登には既に甚左衛門と母・郁が決めた許婚の片桐才助がおり、孫四郎も近く縁談が決まりそうになっていたのです。
才助は4年前から学問のために江戸に出ており、以登の友人・津勢は才助を「どう見てもキレ者という感じではない」と評していました。

孫四郎の縁談相手とは、城中の礼式を司る奏者番の娘・内藤加世でした。
甚左衛門は友人である医者の永井宗庵と囲碁を打ちながら、加世と孫四郎の縁談の経緯について語り合いました。

どうやら加世の父の具合が悪いらしく、この縁談は加世の父が跡取りの婿養子を得るために急いで決めたことのようでした。
300石の上級武士の家柄である加世との縁談は、下級武士の家柄で尚且つ跡取りとは無縁な三男坊である孫四郎にとってはまたとない話のはずでした。
しかし、加世はかねてから男遊びが激しく、縁談が決まってからも妻子ある御用人の藤井勘解由と逢瀬を重ねていました。
そのことを知った以登は表情を曇らせました。

孫四郎は加世と結婚し、内藤家の婿養子となりました。
季節は秋を迎えていました。
奏者番見習いとなった孫四郎は奏者番指南役の小谷忠兵衛から内藤家当主としての期待を寄せられました。

孫四郎の初めての任務は江戸勤番から戻ってきた藩士たちの名を重臣たちに報告することでした。
初めての任務に戸惑う孫四郎に助言したのはあの藤井でした。
ある日、津勢と過ごしていた以登は、加世と藤井が密会している様を目撃してしまいました。

冬が近づいた頃、才助が江戸から戻ってきました。
甚左衛門は年が明けた春に以登と才助の祝言を執り行うことを考えており、才助を家に招いて食事を振る舞いました。
以登は才助の姿に言葉を失いました。
それからというもの、以登は才助が何をするにも嫌々付き添わなければならなくなりました。

そんなある日、孫四郎は国家老や藩の重臣たちから重要な任務を託されることとなりました。
海坂藩は幕府から利根川治水工事への参加を命じられており、財政の厳しい海坂藩にとっては総額10万両を超える経費をとてもまかなうことができません。
そこで海坂藩はかねてから懇意にしている旗本を通じて老中の安西対馬守と接触し、この窮状を打開したいと考えていたのです。

孫四郎は未だ見習いの身分でありながら、老中に書状を届ける大役を担うこととなりました。
孫四郎を推挙したのは藤井であり、藤井は江戸に向かう孫四郎に“江戸のしきたり”を教えました。

江戸に到着した孫四郎は直接書状を老中の安西に差し出しました。
すると、安西は「届け先を間違っているのではないか」と冷たくあしらいました。

本来ならば旗本を介して書状を届けるのが本来のしきたりなのですが、手順を間違えて直接老中に届けてしまったのです。
「国許の殿のお顔に泥を塗ることになる」と安西から突き放され、恥をかかされてしまった孫四郎は責任を取って切腹しました。

以登は甚左衛門から、孫四郎が切腹したことを知らされました。居ても立っても居られなくなった以登は才助を呼び出し、孫四郎は罠にはめられたのではないかと真相を探ってほしいと依頼しました。その際、以登は才助に加世と藤井の関係も伝えておきました。

依頼を引き受けた才助は友人の岡田伝八の力も借りて情報収集に乗り出しました。
岡田は孫四郎が直接老中に書状を渡してしまったことに目をつけ、何者かが誤った手順を教えたのではないかと考えました。

一方、才助は孫四郎が通っていた羽賀道場の門弟たちに探りを入れ、孫四郎は実は加世が結婚後も藤井と関係を持ち続けていることに気付いていたことを知りました。
才助は、不倫が明らかになることを恐れた藤井が先手を打って孫四郎を陥れたのだと推理しました。

才助は更に調査を続け、藤井は藩の商人たちから多額の賄賂を受け取るなどの不正を働いていることを知りました。

賄賂の一部は藩の上役にも回っており、誰も藤井を追及することなどできない状況でした。

以登は自らの手で藤井を斬ることを決意し、これまでの不正の事実を書き記した手紙を藤井に送り付けて決闘の場に呼び出しました。
決闘の日、才助は自分も助太刀させてほしいと以登に願い出ましたが、以登はひとりで行くと断りました。

才助はなぜ孫四郎のためにここまでするのか、孫四郎とはどういう関係なのかを尋ねると、以登は「一度、試合をしただけです」と答えました。
才助は黙って以登を送り出しました。

以登は決闘の場に出向きましたが、藤井は3人の家来を引き連れていました。
以登は家来たちと戦い、全員を斬り倒しましたが、その際に利き腕の右腕を斬られて負傷してしまいました。
それでも以登は藤井との一騎打ちに臨みましたが、藤井もまた居合いの名手であり、左手で刀を握る以登は次第に追い詰められていきました。

そして藤井がとどめの一太刀を浴びせようとしたその時、一瞬の隙を突いた以登は藤井の胸元に懐刀を突き刺しました。
この懐刀は甚左衛門が才助の妻となる以登のために授けたものでした。
駆け付けた才助は以登の手当をし、後は自分に任せろと彼女を逃がしました。

年が明け、海坂藩にも春の足音が近づいてきました。
藤井の死体には不正の全てを記した手紙が挟まれており、不正の全てが明るみになった藤井家はお家断絶となりました。
甚左衛門は宗庵と囲碁を打ちながら、藤井を討って不正を暴いた者の話題について語り合いました。

以登は才助と祝言を挙げ、才助は寺井家の婿養子となりました。
そしてこの年も桜の季節が訪れ、以登はおふさ、そして才助と共に恒例の花見に出向きましたが、何か満開の花が散った後のような寂しさを感じた以登はこの年を最後に二度と花見に行くことはありませんでした。
その後、以登は才助との間に7人の子を授かり、才助は最終的に藩の筆頭家老にまで出世しました。