吉高由里子 ドラマ「光る君へ」第41話「揺らぎ」!
吉高由里子のドラマ「光る君へ」第41話「揺らぎ」です。
まひろは、娘の藤原賢子を盗人から助けてくれた「双寿丸」にお礼を言います。
しかし、いとは、姫様と双寿丸では身分が違うと早々に双寿丸を追い返そうとします。
双寿丸は姫様という顔ではないと言い、藤原賢子は声を上げて笑いました。
その晩、まひろは、双寿丸の言葉に怒らないのかと藤原賢子に尋ねます。
すると、藤原賢子は、怒ることが嫌いだと返答します。
まひろは、幼い頃の藤原道長もまた、藤原賢子と同じようなことを言っていたことを思い出し、藤原賢子は藤原道長の気質を受け継いでいるのだと感心しました。
三種の神器を受け継いだ三条天皇は、藤原公任に内裏に移る手はずを整えるように命じます。
藤原公任は、藤原実資の方が適任だと伝えますが、三条天皇は譲りません。
さらに三条天皇は、藤原道綱、藤原隆家、藤原教通を側近に望みます。
藤原道長の長男である藤原頼通は、なぜ自分ではなく、弟が選ばれたのかを藤原道長に尋ねました。藤原道長は、お前が先頭に立つのは、東宮様が帝になるときだと答えます。
1011年(寛弘8年)8月11日、三条天皇は、藤原道長に関白となって自分を支えてほしいと頼みます。
しかし、藤原道長はこれを断ります。
すると、三条天皇は、藤原道長が関白になることを諦める代わりに、三条天皇の妻である藤原娍子と藤原妍子を女御にすると要求します。
藤原道長は、娘の藤原妍子だけではなく、藤原娍子も女御になることで、権威が削がれてしまうと危惧し、藤原娍子には後ろ盾がなく女御にはなれないと意見しますが、三条天皇は聞き入れませんでした。
秋になり、藤原彰子は、藤壺で和歌の会を開きます。
赤染衛門、和泉式部、藤原頼通、藤原頼宗とまひろ達女房が歌を詠んでいると、ききょうが敦康親王から藤原彰子への椿餅を持って訪ねてきました。
藤原彰子は、ききょうに敦康親王の様子を聞きますが、ききょうは、和歌の会を開いて楽しんでいる藤原彰子の様子を見て、このように楽しそうにお暮らしとは。敦康親王様のことは過ぎたことなのですねと言い、敦康親王のことはもう忘れてかまわないと告げます。
藤原彰子は、いつでも藤壺に来て良いという文を敦康親王に届けさせました。
するとすぐに敦康親王は藤壺にやってきます。
敦康親王は、御簾越しに椿餅のお礼を言う藤原彰子にお顔が見えないとつまらないと言い、御簾の中へ入ってしまいました。
その話を聞いた藤原道長は、藤原行成に、敦康親王が二度と内裏に上がらないように命じます。
藤原行成は、敦康親王様から多くのことを奪いすぎでございますと言い、去っていきました。
後日、藤壺に藤原道長がやってきます。
藤原道長は、藤原彰子に敦康親王と会うのは控えるように伝えました。
藤原道長が去ったあと、藤原彰子はまひろに父の言いなりにはなりたくないと訴えます。
まひろは、藤原彰子に仲間を持つことを勧めました。
まひろの助言を受けた藤原彰子は、早速、藤壺に弟の藤原頼通と藤原教通、腹違いの弟の藤原頼宗と藤原顕信を集めます。
藤原彰子は弟達に藤原道長のより良き政のために、みんなで力を合わせることが大切だと言い、お互い手を結ぶことを訴えました。
こののち、藤原彰子は、藤壺を出て「枇杷殿」に移り、藤壺には、三条天皇の女御となった藤原妍子が入ることとなります。
12月の徐目が迫り、三条天皇は、藤原娍子の弟藤原通任を参議に任ずることを藤原道長に伝えます。
藤原通任は、半年前に蔵人頭になったばかりです。
そのため、藤原道長は、参議に取り立てるのは早いと訴えますが、三条天皇は、了承するなら、藤原道長と源明子の息子である藤原顕信を蔵人頭にすると提案します。
しかし、藤原道長は、これを断ります。
この一件を知った藤原顕信は、出世の機会を棒に振った藤原道長に不満をぶつけました。
藤原道長は、三条天皇に借りを作りたくないと説き伏せようとしますが、藤原顕信だけではなく、妻の源明子まで激怒します。
そして、年が明けた1012年(長和元年)正月、藤原道長のもとに、藤原顕信が出家したという報せが入ります。
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