北川景子 映画「大河への道」!
北川景子 の映画「大河への道」です。
江戸時代から映画は始まります。
誰かが亡くなったようです。
布団の傍らで女たちはすすり泣き、男たちも手を合わせて泣いています。
しばらくすると、一人が「今しばらく先生には生きてもらいましょう」と語ったかと思うと、「忠」と赤く書かれた草履を枕元に置きました。
現代が映ります。
千葉県香取市の市役所で働く池本はある時、市の観光振興策を決める会議で苦し紛れに、伊能忠敬の大河ドラマ化を提案します。
観光課の小林や、総務課の木下らが訝しげに見る中、その企画は意外にも千葉県知事の目にとまり、池本主体で企画は進んで行くことになります。
ただ、千葉県知事の指名により、脚本は大御所の加藤浩造に依頼することになります。
脚本家の加藤は大御所ではありますが、2000年以降は大した執筆もしておらず脚本を受けるとは思えません。
案の定、居留守を使われたり、池本が何度出向こうが相手にすらしてくれません。
しかし、頼んでもいないゴミ捨て場の網の修繕をした池本を見て、加藤は話を聞くことにします。
作品選びの基準に鳥肌が立つかどうかだと話す加藤。
池本は加藤を伊能忠敬記念館に連れていきますが、全く興味を示しません。
けれど、記念館に展示されていた200年前の地図を見た加藤は、あまりの精巧さに鳥肌が立ちます。
その後、シナリオハンティングを経てあらすじ提出の日、加藤はとんでもない事を言い出します。「伊能忠敬はこの地図が完成する3年前に死んでいる。これでは大河ドラマは出来ない」と。
江戸時代に戻ります。
1818年4月13日、伊能忠敬は73歳でこの世を去りました。
誰もが皆、彼の死を悲しんでいます。
地図が未だ完成していないため、測量士の綿貫善右衛門は江戸幕府の天文方である高橋景保に、伊能忠敬の死をしばらく伏せてくれないかと懇願します。
それは、彼の死が幕府に知れると公金は打ち切りとなり、地図作りが中止になってしまうため、地図を完成させたい思いからの提案でした。
景保はそのことをよく思わず上に報告するつもりでいましたが、助手である又吉と伊能忠敬の前妻で地図作りにも手を貸していたエイに会い、彼女に上手く騙されて結局は伊能忠敬の死を隠し、約束の3年で地図を完成させる運びとなります。
しかし、高橋の動きに不審さを感じた勘定奉行は、神田三郎という男を雇い、伊能忠敬が生きているかどうかを探らせる事にします。
神田は伊能忠敬の墓を突き止めますが、神田もエイの策略にはまり、結局伊能忠敬が亡くなったという事実を掴むことができませんでした。
そして伊能忠敬が完成させたかった地図、「大日本沿海輿地全図」は、残された綿貫たちの力により完成することになります。
完成した大日本沿海輿地全図は、江戸幕府の第11代将軍、徳川家斉に披露する流れになりました。
高橋は騙していた事がバレた場合、全ての罪を一人で被るつもりでいましたが、測量士たちが自分たちも同罪だと言い出し、高橋は心強い味方をつけ、いざ江戸城へと向かいます。
お披露目の場に伊能忠敬本人が来ない…。
案の定周りはざわつき始め、幕府を欺いていたのではないかと追求されます。
「騙したのか?」家斉に問われた高橋は「伊能忠敬はいます」とはっきり答え、完成した大日本沿海輿地全図を家斉に見せました。
家斉はその出来栄えに感動し、高橋が持っていた伊能忠敬のわらじをみて「余には伊能が見える」と答え、高橋の件を不問とします。
再び現代、
大日本沿海輿地全図の真実を知った加藤は、すっかり高橋に惚れ込んで、高橋を主役にしたドラマなら書くと意気込みます。
しかし、加藤は結局脚本を断ります。
知事から大河ドラマ化を諦めたのかと問われた池本。
肝心な脚本を作るため、池本は再び伊能忠敬の事を学びます。
加藤の家にやってきた池本は、伊能忠敬の大河ドラマの脚本を自ら書くために加藤に弟子入りを志願します。
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